いつからだろう、昔は普通に道にいたノラ犬を見なくなったのは。
公園からは遊具が撤去され、木登り防止の為に木の枝は切られ、昼間でも子供どころかホームレスすらいない。
何十年もあった森や竹やぶは、暗がりが出来て危険だという事か各所で伐採されているのを見かける(別の場では温暖化だ何だ言われてる中で)。
子供を守るために「話しかけキャンペーン」を展開する一方で、道で子供が見知らぬ通りがかりの人から「おはよう」と挨拶されたことが犯罪事件とされる不思議。
そんな状態でありながら「子供が外で遊ばないでゲームばかりだ」とか批判していた識者は何を考えているのだろう。そのゲームも有害だかという事で規制。人と話すのも禁止で、携帯電話も取り上げて規制。
こんな環境の中で「他人とのコミュニケーションが苦手な若者が増えた」という大人の想像力の無さは異常。
小中学生の携帯所持を法律で禁止するのは犯罪に巻き込まれないようにだけど、子供が自分の知らない情報を持つ事を恐れて、管理して無知にし、自我を持たせず自分の持ち物にしていたいという支配欲も感じなくもない。
ペットみたいなものなので、自分の言うことを聞かない場合はキレて虐待する。自分から見て都合よくない他人は悪だとして糾弾。自分の行動が原因で起きた事でも周りのせい。そうした傾向は昔からあった事だが目立つなぁ。単に報道されるようになったからそう見えるだけか?
昔苦労した経験のある大人は、今の子供は恵まれていると言うのもいるようだが本当にそうなのだろうか。
まぁどんな環境でも当事者は世間の嘘を感じとって自分で何とかする力は見つけ出すだろうけど、周りと違う事に対する外からの圧力の強さは知っての通り。
おかしさを感じとっても、それが最初の一人だけだったら迫害される(アルジュナ参照)。法律にのっとってやっても、法律は平等には使われず、強者の都合によってルールの適用度はコロコロ変わる。何かどこかの物語世界のようだ。
元々、自分らから見て気に入らない異質な他人を排除するのは生存するための生物の本能にしても、特に害のないダンゴ虫も殺したり、エロ漫画の単純所持の禁止を訴えたり、この数年の大人の行動は病的すぎる。
タバコも、火の気も周りに人がいない所でも規制対象となり、専用場に押し込めて隔離だが、それでも足りず全面規制せよと言う声もあるのは、タバコ嫌いの自分にすらやりすぎに感じる。
自分の気に入らない異質な他者を排除抹殺する事で得られる安心感。
都合いい他人だけで囲う事が可能なmixiが流行ったのもわかる。
■関連資料こぴぺ
(※首相官邸公式サイト)
1.子どもへの方策
http://www.kantei.go.jp/jp/kyouiku/1bunkakai/dai4/1-4siryou1.html
2.大人や行政が主体となって家庭、学校、地域で取り組むべきこと
- 子どもを厳しく「飼い馴らす」必要があることを国民にアピールして覚悟してもらう
- バーチャル・リアリティは悪であるということをハッキリと言う
(全文を見る)
第3回 規範意識・家族・地域教育再生分科会(第2分科会)※PDF
8.「有害情報から子供を守り、健やかな人格形成を図る」について
パソコンは学校、家庭を含めたフィルタリング。テレビについて業界の自主規制だけでなく、家庭もチェックする。通報窓口の活用の提言の内容。テレビを禁止し、有害情報はシャットアウトし、土日も帰さない。こういうことは私立でしかできない、ではなく公立でも真似るべきだ。ある特定の期間だけでもやると必ず、家族にフィードバックされる。日本は植民地に学校を作って、教育した。それをやると躾ができた。
(全文を見る ※要pdf)
この美しい国づくり計画はあれから阿部氏のやめた今でもしっかりと続き、着々と実現の下地づくりに成功している。
教育委員会の資料の中には要約すると「マスコミにも協力してもらって国民の情報操作洗脳に協力して貰う」な表記があり実際それは実行されているけど、同資料の中で「TVやマスコミは有害だ。規制すべき」とハッキリ言ってる国に率先して協力してるマスコミは何なんだろうなw
国民側も「個人を自由にさせると不安なので、お上に色々と規制してもらって安心したい」という雰囲気がある。様々な規制は実は住民側から国に希望されたというものも少なくない。そうした連中もまた別の場からは規制される側になったりもするのだが、自分は正義なので、自分がそうなる側の可能性は本当に全く思いもしていないのが多い。まぁなるようになるか。
異質の排除といえば、漫画も周りと同じものしか売れないので最初から採用されにくい世界に戻ったな。見慣れたもののほうが安心するのでわからなくもない。ハーフリータやロリポップの頃の時代のエロ漫画界は、エロ描写さえあれば後は何かいてもいいみたいな自由さがあったけど、今は表現の自由なんて物はとっくにないに近い。小説、映画、商業音楽、様々な分野が売れるためのマニュアル完成後は先細りになっていったのもわかる。でも、周りの嗜好が変化してる場合でも、売れるためのマニュアルは本当に売れるためのマニュアルのままなのだろうか。曲もゲームも同人からばかり新ヒットジャンルが出てるのもわかる。
ケータイ小説でもギャルゲでも何でも、その空気を捉えられる感性がなければ作品現物を見ても「どうしようもない低レベルな存在」で終了し、実際に売れて多くの層から支持されていても、その道のプロからはバカにされなだけな事も多い(自分の出す小説がそのバカにしてるものより売れてなくても)。曲もロック、パンク、おニャン子、その時代で出始めな新ジャンルの頃は、その道の権威から「こんなの曲じゃねぇ」とバカにされるものだし、そうでないといけないような気もしなくもないし(権威に認められたら認められたでイヤな感じがするのもナゼなのだろうw)。『権威の自分に理解できないもの、漏れの言う事を聞かないクリエイターはバカ』となるのは、いつの時代でもどこでも存在する宿命。
でも、もったいないな。
まったく同じものを見てても、それを見る側の捉え方は人によって違うんだよな。当たり前だけど。
年をとると脳が固まって新しいものを受け付けなくなるので、頭のまだ柔らかい子供や実際に金を出す若い層と感覚が違うのも当たり前で。
浮世絵、文学小説、映画、TV、漫画、アニメ、ゲーム、ケータイ、ネット、
全部、出始めの頃は世間の識者からは有害で低俗で犯罪の原因だとされたものばかりだよ。
・資料
地域安全情報の配信(下野警察署) | 栃木県の安全・安心メールマガジン (2008/11/12 12:12:45)
男が女子小学生に「おはよう」と声をかける事件発生 カナ速
越えられない壁( ゚д゚): 「子供への声かけ」など摘発難しい行為も、積極的に警告へ…子供狙った事件防止するため、「前兆」も捜査
なりゆきタイムラー:【おはようって言ったら即逮捕】…子供狙った事件防止するため、「前兆」も捜査 - livedoor Blog(ブログ)
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