2007/8/6 Monday

今日は広島に原爆が落ちた日

Filed under: 近況・その他 — doku-kinoppy @ 17:59:25

茸です。

本当は私のブログ当番日はまだずっと先なのですが、どうしても今日この日に書きたいことがあって当番を代わって貰いました。

昨晩のことですが、実家の母から電話がありました。
「今、そっち(東京)はNHKで何やってる?」
「ダーウィンが来たをやってるよ。どうして?」
「そう。こっち(広島)はね、米米クラブの人が来て原爆特別番組やってるよ。全国区じゃないんだね。」
「お母さん、東京に来てから思うけど、広島と長崎以外の人にとって、原爆は大した関心事じゃないんだよ。」

広島と長崎に原子爆弾が投下されて、今年で62年目の夏です。
私の母とその家族は、2歳の時に被爆しました。
当日、広島にいたのは母の一番上の姉だけで、祖母と母とその他の母の兄姉達はみな疎開していたのですが、原爆投下から2週間以内に爆心地に戻って来てしまったので、残留放射能で結局全員被爆しています。
祖父は、その日たまたま大阪に行っていて、翌日戻って来たら街が瓦礫の山になっていたそうです。
母の一番上の姉は当時女学生で、軍事工場に駆り出されて働いていたところをピカに襲われ、その目できのこ雲を見たそうです。
母と一番歳が近かった姉は、40代で亡くなりました。彼女の旦那さんは、その数年前に亡くなりました。
私にとっては伯父ですが、体中に焼け爛れたケロイドがあり、そのせいかとてもおとなしい性格の人で、親戚の中で一番好きでした。
私には原爆はちっとも昔のことではなく、おそらくそれは、広島・長崎に住む全ての人にとってそうでしょう。

ある日、東京の私の一番の親友にこんな話をされたことがあります。
去年か一昨年に制作されたドラマで、松たか子主演の原爆ドラマがあったそうです。そのラストシーンに実際の原爆投下当時の被爆者の映像が使われたそうで、そのあまりの残酷さにTV局へ視聴者からクレームが殺到したとか。あんなもの見せるな。気持ち悪い。
そのことを、一緒に飲んでいた彼女の友人でやはり広島出身の人が泣きながら怒っていたと。
でも実際、困ったそうです。そんなことで泣かれても、どうしようもできないし、過剰だと思ったそうです。
確かに…。親友の反応はもっともだと思います。私もその人は過剰だと思うし、普段から酒が入ると泣き上戸な人なんでしょう。いくら広島の人間だからって、その程度のことではだいたいの人は泣かないです。
でも…正直な私の気持ちを言うならば、そんな時でも、困らないで欲しいんです。
いや、困るものは困るだろうし仕方ないんだけど、話を聞いてあげて欲しいんです。
友達の個人的な心の傷を聞くように、原爆の話も聞いて欲しい。
私たちにとって原爆は、過去の歴史の話ではなく、家族の、今の話なのです。

韓国や中国の若い人で、とてもとても日本人が嫌いな人がいます。
何度公式の場で謝っても、慰謝料を払ってもその憎しみが癒えることはありません。
困るなあと思います。昔のことじゃん、今の若い世代のあなた達に関係ないことでしょう?
そう思ったこともありました。でもそれは、彼等にとってもちっとも昔のことではなく、自分の家族の今の話なんだと、自分のことを振り返るとわかります。
彼等の憎しみや怒りや悲しみは、政治的な謝罪や慰謝料では癒されない。ではどうすればいいのか?
それもわかっています。
知ることです。
私たちは原爆のことをもっとみんなに知って欲しい。知ろうとして欲しい。
知って貰うことで私たちの悲しみは少し癒えるのです。
だから私も、色んなことが知りたい。韓国の人のことも、中国の人のことも、沖縄の人のことも、東京の人のことも、アメリカの人のことも。
相手を知ろうとすること。それが何よりも温かい心なのです。

母は言います。
「原爆のことをあんまり余所で言うと、原爆ヒステリーみたいに思われるけえねえ。もう、あんまり言わんのんよ。」
母は言いませんが、被爆者であることで傷ついてきたのだと思います。
広島では被爆者手帳を持っている人は様々な特別な恩恵に預かれるのですが、例えば医療費がタダだったり、申請すれば月3万円くらいのお金が貰えたりするそうです。
でもそれも、
「原爆のおかげで得できて良いね」
と、言われてしまうことがあります。
それが嫌で、母はここ10年、病院にも行ってないし特別手当の申請もしていないそうです。
ここに書いてしまいましたが、家族が被爆していることも言うなと言われています。

ものすごく昔のことですが、まだ総理が中曽根さんだった頃、広島の被爆者病棟を訪問された中曽根さんが言ったことがあります。
「まあ、病は気からと申しますから、皆さんも頑張って」
この話をするとき、いつも笑い話みたいにして話します。悲しい顔して話すこともできないので。

62年前のあの夏、むこう50年広島には生き物は生まれまいと言われていましたが、恐るべき生命力でキョウチクトウの花が咲き乱れました。
キョウチクトウには白やピンクもあるのですが、その夏から広島のキョウチクトウは全て真っ赤。
死んだ人の血を吸ったみたいに赤い。

憲法9条が、改正されようとしています。
武力を持った他国と渡り合うために、平和のために日本も武力を持とうという考え方が、主流になりつつあります。包丁を持って自分を刺すかも知れない人と仲良くするために、自分も包丁を持とうという考え方です。
私は、そんな風にして誰かと友達にはなれないと思うのですが、今はそういう考えの人が多いみたい。
全世界がいっぺんに武器を手放せばいいことなんじゃないのと思いますが、その考え方は幼稚で非現実的でとても無理だそうです。
そんなことを真顔で言う人間は、軽蔑されます。
新潟の地震で原発から放射能が漏れましたが、それでも原発は安全で、もし100%安全とは言えなくても、今の日本で原発のない暮らしは考えられないそうです。
私には原爆も原発も一緒なので、もう日本はそういう国になっちゃった。
でも本当に、原発なしではどうしようもないんなら、それはもう仕方ないんでしょうね。
私にはどうしたらいいのかわからないので、いつか放射能にまみれて死んでいくんでしょう。
原発が容認され、憲法が改正され、やがて核武装もするんだろうな。
それでやっと世界と対等になれると言うなら、それもこれも全て仕方ない。

でもいつか世界がいっせいに滅んでも、きっとキョウチクトウの赤い花は咲くでしょう。

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